気まぐれ日記 2014年5月
2014年4月はここ
5月1日(木)「4回目の講義が終了・・・の風さん」
本山キャンパスまで下道を走って1時間半かかるので、12時半には自宅を出発しなければならない。
月曜日の夜の会食のときにスーツの袖を油で汚してしまった。その染みがとれないまま、キャメロンに乗り込んでハンドルを握ったのだが、快晴の空の下、窓を開けて走る爽快さに、いつしか染みのことは忘れていた。
事務室では作ったばかりの愛工大の名刺を自慢げに見せた。
今日も少ない受講生を相手に、まるでゼミのような講義をした。先週やる予定の内容だったので、早くも1週遅れである。基本的にビジネス経験や現場の実態を語ることにしている(詰め込み教育はやらない)ので、これでいいと思う。受講生もまじめにレポート対応のための参考書を借りてきたようで、知識は自分で手に入れてもらう。
講義が終わった後、控室で休憩した。体力不足なので、帰りの運転のために、これは必要なステップである。
帰宅途中で、キャメロンの自動洗車をした。300円の水洗いのみ。
就寝前に久しぶりにPCのバックアップ(データフォルダのみ)をセットした。
5月2日(金)「PCのバックアップが終了・・・の風さん」
PCのバックアップが終わらないので、工場長の教材の最後のゲラ校正に着手した。
昼食後、キャメロンで外出した。JA、商工会議所、郵便局、銀行に寄って帰宅した。
昨日以上の上天気で、初夏のようだった。
帰宅して、上を半袖Tシャツに着替えた(私は極端)。
月曜日に南山誠林さんから提案のあった研修講師について、開催機関の担当者に電話して内容を確かめた。講義内容はハッキリしなかったが、研修時期については再確認できた。ちょっと大変になるかもしれないが、やらねばならないタイミングだと思った。
自分の担当分のゲラ校正が終了する頃、PCのバックアップも完了した。
PCのウィルスチェックやエラーチェックも、バックアップと同様に頻繁にやる必要があるが、なかなかその余裕がない。
就寝前にベッドで吉村昭さんの小説を読んでいる。いつもながら、ため息が出る緻密さである。
5月3日(土)「世間は行楽日和・・・の風さん」
夏日だった昨日から爽やかな五月晴れになり、今日から世の中は4連休。
午前中にルーチンワークを終えて、昼食後、キャメロンで出かけた。
昨日用意した郵便物を投函し、やっと床屋へ行き、帰りにカリチューに寄ってキャメロンの12か月点検と若干の改造を予約した。
帰宅する頃には、半田亀崎のお祭りも終わりかけ、知多半島は行楽客の帰りの渋滞が始まっていた。
幌はたたまなかったが、両側の窓を全開にして走るだけでも爽快な気分だった。
会社員時代から1年365日稼働だったので、GWも関係なく、夜もしっかり仕事した。
5月4日(日)「意外と手間取るゲラ校正・・・の風さん」
世間の連休が続いているうちに、こちらはどんどん仕事をこなしていかなければならない(挽回のため)。
いつものようにルーチンワークをこなした後、机上にたまっている名刺を一気に整理した。
少し気分がスッキリしたところで、インターネットで、気になっている品物の価格を検索した。
すると、ビックリするような低価格品が見つかった。スペックを確認すると申し分ない。ちょっと迷ったが、買って失敗しての反省よりも、買わなかったことによる後悔の方がずっと長く続く性格なので、購入してしまった。
続けて、工場長テキストの共同執筆者のゲラ校正の続きを始めた。昨日から明日の午後まで3日かけて終了させる予定だ。
ところが、今日の分のゲラ校正が夜遅くまでかかってしまったので、今日の最後の仕事は、天文シミュレータのバージョンアップに変更した。
5月5日(月)「まさかの1日・・・の風さん」
今日は朝からどんよりした空で、今にも雨が落ちてきそうだった。昨日よりさらに気温が低くなりそうである。
共同執筆者のゲラ校正を今日中に終えて、7日の午前中に東京へ届けなければならない。
今日は、ルーチンワークを中断して、朝からゲラ校正に取り組んだ。
かなり集中して頑張ったのだが、夕方までかかってしまった。そして、書き込みがけっこう増えてしまったので、書き込みのあるページだけスキャナーで読み込んで章ごとにpdfにした。
夕飯前に、校正済みゲラ一式をクロネコで送る手配をした。
さて、次はpdfである。
それらを事務局や委員長、各執筆者へ個別に送ろうしたら、OUTLOOKが不調である。エラーメッセージも出ずに、送受信が止まってしまう。原因が分からない。
各執筆者に事前に見ておいてもらわないと、私からの校正済みゲラを受け取った事務局が、その多さでめまいを起こして倒れてしまう。なので、絶対に送っておかないといけない。
深夜になってもOUTLOOKが修復しないので、WEBメールで送ることにした。
共同執筆者をアドレス帳に記録して、せっせと送った。
とうとう今日は、ゲラ校正作業だけで終わってしまった。
5月6日(火)「執筆再開・・・の風さん」
OUTLOOKだけでなく、ファイル転送ソフトも不調だったので、ホームページビルダーの再セットアップをしてみた。すると、どうだろう。すべての不調が消滅した。
急に前途が開けた感じがしたので、午後おそくワイフとランチに出かけた。
我が家(観光地に存在)を出てすぐ気が付いた。娑婆はまだGWなのだ(トヨタグループ除く)。
遅いランチを終え、ひなびた道路を通って帰宅した。
昨日は書斎の片付けがほとんどできなかったので、今日はルーチンワークをしっかりやった。デスクの上も開放させて、スピーカを設置した。着々と執筆環境が整っていくのを感じた。
夕食後、ようやく小説関係の仕事を再開した。頑張らねば。
5月7日(水)「ふとウィークデーを思う・・・の風さん」
来週も地元で講演がある。プロジェクターとMacbookAirの相性を確認するため、昼食のおにぎりをほおばってすぐ出かけた。
30分ほどで目的地に着いた。そこは某社の本社である。
ロビーは吹き抜けで美術館のような開放感がある。洒落たビルだ。
すぐ横にホールがあった。あまり使用頻度は高そうにない。
相性はバッチリだった。これで安心。ホールの正面横に、スピーカを設置するスキマがあって、蓋が外されていた。内部をのぞくと、ひからびたエイリアンの死骸が3つあった。巨大なクモである。何らかの理由で閉じ込められてしまったのだろう。南無釈迦尼仏……。
郵便局に寄って、小栗祭りのための卒塔婆代を送金した。今年も東善寺に出かける余裕がない。来年こそは行きたい。
GWが明けて空いた道路をキャメロンで走りながら、今日はウィークデーなんだなあ、と思う。が、まだ退社した実感がない。それはあまりにも忙し過ぎるからだ。
昨日に続いて執筆。あらたにもう1件も再開した。これで2件、再開である。
5月8日(木)「エンボスヒーターの修理・・・の風さん」
朝からルーチンワークをこなし、昼食のカツサンドとコーヒーをぺろりと食べ(美味かった〜)、キャメロンで出発した。
片道1時間、50kmのドライブで本山キャンパスに着いた。
講義が始まる前に、論文を読んでいたら、元留学生で現在ポスドクの中国人の友人と会った。7月の工場見学に誘った。
今日の講義も私らしい会社経験に基づく内容に終始したが、学生から「今の方針で続けてください」と声がかかり、非常に嬉しかった。やはり単なる知識詰め込み教育は面白くないというか、そんなこと本を読めば分かる、ネット検索してもすぐ出てくるのだ。それより、実際に経験したことに基づく生きた証言が意味があるのだ。これからもそうしよう。
講義後の休息は、今日はいくらか短くても大丈夫だった。
帰りもロングドライブだったが、キャメロンの運転は楽しい。
幌はそのままでも、両側の窓を全開して走った。
夕食後、ワイフの求めに応じて、エンボスヒーターの接続不良の修理に挑んだ。
残念ながら、半田ごてを持っていないので、修理は困難だった。
ネットで検索すると、ワイフが気に入ったものがあったので、代わりに発注した。便利な世の中だ。
就寝前に執筆の続きをやったが、時間切れとなった。
5月9日(金)「先進国の歴史に学べ・・・の風さん」
ときどき花粉症が出るが、重症ということがない。気が付いたらもう5月だ。このままいくと、少なくともここ10年間でもっとも花粉症で苦しまない季節を過ごしたことになる。だからといって、全身、健康そのものかと言ったら、残念ながらそれはない。あちこちガタがきている中の一つが、今年は軽症で済んでいるだけだ。
快晴の空の下、今日も昼食のおにぎりを2個ほおばって、早々にキャメロンで出かけた。
平日のドライブを何度も繰り返しているが、退職の実感を強く味わうこともないうちに、慣れてしまいそうだ。もったいない話だ。
今日は雇用の説明会を聴講に行ったのだが、駐車場が限られているという情報だったので、1時間以上早く現地に行った。キャメロンの中で待つには日差しが強すぎるので、会場となっている某会館に入ると、喫茶コーナーがあった。私にしては贅沢なコーヒーを注文し、読みかけの吉村昭の『暁の旅人』を読んだ。吉村さんらしい、徹底した取材や調査を元にした作品で、私の目標だが、歴史小説家と同時にモノづくりの専門家としても生きて行こうとしている自分には、もうそれは無理ではないかと思い始めている。
多人数の中で、客観的に説明を聴いているうちに、日本の福祉政策の行き詰まりの一端を感じた。国としての経済成長や人口増加が停滞した場合に、どうやって幸福感を得るのかという問題だ。もしかすると、ドイツやフランス、イギリスの歴史に学ぶとヒントが得られるかもしれない。まだまだ先進国に学ぶことは多い。
帰りにキャメロンに給油した。最近5速を多用し、空いた道を走っているせいか、13.2km/Lという燃費を記録した。
帰宅したら、楠木誠一郎さんの新刊が届いていた。内容を充実させて文庫化した『日本史・世界史 同時代比較年表』(朝日文庫)である。年表というタイトルだが、連続するコラムのような構成なので、読み物としても適している。前述のような研究をするに際し、先ず、この本で歴史の大局観を得るべきだろう。貴重な本である。
5月10日(土)「40連休目・・・の風さん」
退社後40日つまり40連休目である。
昔、会社に40代半ばで受けるキャリアプラン研修というのがあった。定年後のことを考えるためのもので、研修後に1ヶ月のリフレッシュ休暇が許可されていた。この目的は、1ヶ月後に出社したとき、職場にとって自分の存在価値がほとんどないことを実感させることだった。
私はそのときGWとくっつけて40連休にして取得した。『算聖伝 関孝和の生涯』の原稿完成を目標にしたが、最後までは到達できなかった。40連休中で一番驚いたことは、ワイフが日中ほとんど自宅にいないことだった。何度もモーニングやランチに一緒に行けると思っていたが、結局、ランチに1回行っただけだった。私は自宅で留守番ばかりしていた。
再出社後、確かに私がいなくても会社に影響はほとんどなかったが、自宅における自分の存在感がなくなっていたことに最もショックを受けた。
あれから15年近く経過したことになる。今日までの40連休で驚くことは減っていたが、ランチに一緒に行けたのは3回ほどである。いくらか向上したと言えるか。
今日は、数学史名古屋セミナーと次世代エグゼクティブ・フロンティアセミナーがあったが、執筆の遅れている私は、どちらも断念し、深夜まで執筆に専念した。
5月11日(日)「とりあえず執筆態勢報告ができた・・・の風さん」
今日も近畿和算ゼミがあり、久しぶりに出席したかったが、執筆遅れ挽回のため断念し、終日執筆に専念した。
土日に執筆遅れの挽回に専念したのは、出版社からのフォローが来ないという安心感からだった。
それでも朝からルーチンワークはこなした。これをやっておかないと、身辺整理というか執筆態勢の確立が永遠にやってこない。
結局、今日のゴールにたどり着いたのは午前2時ころだった。
中間報告という形ではあったが、退社して執筆態勢に入ったことを出版社に伝えることができた。
同じ懸案事項があと3つ残っている。
とはいえ、めでたい話ではあるので、冷蔵庫を開け、今年初めて自分からワインを出して寝酒に飲んだ(笑)。
5月12日(月)「1年前をふと思う・・・の風さん」
朝から雲が多く、午後から雨になるという予報も出ていたので、予定していた外出は中止し、執筆に専念することにした。
しかし、土日もなく突っ走ってきたので、体力不足の私はやはり1勤1休となってしまう。今日は「休」の日だった。
休みといえば、以前にも書いたことがあるが、スマホのLINEゲームに1年以上もはまっている。楽しいし爆発的なスコアが出ないので、簡単にやめられない。そもそもはまった本当の理由は、母の遺品整理中の鬱屈した気分への刺激だった。
昨年の今頃は、まだ名商大の講義も続いていたし、大野先生が入院されてそのお見舞いのタイミングも探っていた。定年退職まで半年を切っていた。そういった中で、まだたった一人で遺品整理のため須賀川へ出かけていたのである。
3人の子供たちが還暦を迎えるころは、どうなっているだろう。
幸福の連続なんてことはない。それまでにつらいことが何度も襲ってくるだろう。それらを何とかかんとか乗り切っていくことが、結局は幸福なのかもしれない。
夕方から本格的な雨になった。ようやく元気が出てきたので、「休」に日の今日は、夜型で頑張った。
5月13日(火)「しゃべり過ぎか・・・の風さん」
昨日の雨が上がって爽やかな朝、町から無料検診の案内が来ていたので、保健センターへ出かけた。
これまでは会社の定期健診を受けていれば、それ以上のチェックは面倒で、ほとんど何もしていなかった。だからと言って安心ではないのは、多くの先輩たちが発見遅れのご病気で亡くなっている事実からも明らかである。それは分かっていたが、気持ちの余裕がなかったのだ。
無職となり、地域からの福祉政策の一環で届いた案内だが、これによって自分の健康チェックのあり方を見直す必要があると思った。そういう意味で、住居地の保健センターに初めて足を踏み入れたのは貴重な経験となった。意外と多くの人が来ていたからだ。
その後、JAと盛田酒造に寄って帰宅した。
昼食後、地元の生涯学習センターに出かけた。そこで地元のふるさと研究会の方たちと打ち合わせがあったからだ。目的は来月の講演の下打ち合わせだったが、私は必要な書類をほとんど用意していったので、会長以下4名の方たちと1時間半も雑談してしまった。どうも年寄りは話が長くて、相手に迷惑をかけてしまう(もっとも相手もご高齢ではあったが)。
ワイフが日頃聞き飽きて拒絶反応を起こしている内容を思いっきり話せたので、かなり欲求不満を解消できた。
帰宅し、雑談の影響もあって、新聞店へ電話し、来月から夕刊の配達を止めてもらうお願いをした。
夜も休みなく、今日も予定していた執筆をほぼ終えた。計画を完遂するのは疲れる。
5月14日(水)「稼ぎ時?・・・の風さん」
今日は出かける用事がないので、終日、執筆に専念できる。稼ぎ時である。
だが、その前に、ルーチンワークと明日の準備があった。
明後日の講演のためにレジュメを作成した。
明日の講義のための準備をした。
ルーチンワークをすべて終えないうちに昼食時間(午後1時半)になってしまった。
夕方からやっと執筆に着手できた。日本評論社向けの執筆の3日目である。予定のところまで終えたのが午前零時過ぎだった。
これでは、並行して進めているエッセイに取り組むパワーは残っていなかった。
なーんだ。結局、いつもと同じ程度のペースか。それにしても、退社してなかったら、どうなっていたのだろう。
昼間、速達が届いた。何かと思ったら、楠木誠一郎さんの新刊だった。なぜ速達なのか分からないが、早めにPRしておこう。
シリーズになっている講談社青い鳥文庫『伊達政宗は名探偵!!』である。仙台は縁が深いので、興味がわいた。
就寝前に、表紙をスキャンした。
5月15日(木)「夕食までは全力疾走・・・の風さん」
執筆が佳境に入っているので、今日の名古屋往復は電車にして、車中で読書しようかと思っていたら、ワイフからドーナツ購入指令が出たため、いつも通りキャメロンで行くことにした。
午前中は、昨夜できなかった「数学文化」向けの原稿の構成検討にあてた。結論と構成ができれば、執筆はそれほどのことはない。だいたい固まってきた。
湿度の高さを感じる中、今日も窓を開けてキャメロンを走らせた。やはり爽やかな気候の方がいいな。
キャンパス近くのミスドでドーナツを購入し、いつも通りに講義をした。残念ながら欠席があったので、せっかく準備した講義資料がもったいなかったが仕方ない。レポートの指導もできて、とりあえず満足。
あまり疲労もしてなかったので、コーヒーを一杯飲んで早々に家路についた。
帰りは雨で、非常に暗く、スモールとフォグランプを点灯しなければならなかった。
夕食後ダウンしてしまったのは、何とも情けなかった。来月こそ筋トレを復活させたい。
5月16日(金)「江戸の数学文化を広める講演会・・・の風さん」
夕方から地元の法人会で講演させてもらうため、かつて準備したことのあるPPT資料の見直しに取り組んだ。
これがけっこう大変だった。何しろ作者(わたし)が面白がって作ったものなので、一般の方は面白くない恐れが大である。
そこで、専門的なスライドは削除し、作家としての姿勢があらわれている取材がらみのスライドの比重を大きくした。
朝から始めてギリギリまで頑張って自宅を出発し、現地に着いて受付の方たちの期待に満ちた顔を見て、まだ徹底が足りないと反省してしまった。
それで、控室にいる間に、さらにスライドを3枚減らして、語りの時間を確保することにした。
こうして本番をむかえたのだが、準備が入念にされた反動で、パワー不足になったのだろうか、へろへろでゴールインした感じだった。
それでも、最近は懇親会で講演の不手際を補う方針にしているので、各テーブルを回りながら、聴講者のご意見や感想をうかがった。
懇親会の会場は、某社ビルの6階で、伊勢湾やセントレアを望める眺望のすばらしい場所だった。
あまり飲んでないが、例によって酩酊して帰宅した。
5月17日(土)「さあ執筆再開(1)・・・の風さん」
昨日、自宅を出発する直前に届いた郵便物の中に、税務署からの通知があった。わずかな時間しかなかったが、気になったのですぐ開封した。
すると、確定申告の間違いを指摘するものだった。早速、控えをチェックしてみると、指摘通りだった。正直にそして真剣に計算して提出したのに、ヒューマンエラーは起こるものだとあらためて思った(長年、生産技術の仕事をしていながら、情けない)。税金を追加で納入することになる。やれやれ。
今週も某社向け原稿を提出する計画にしていた。すると、その出版社の編集者から進捗状況を尋ねるメールが昨日届いた。税務署の通知ほどではないが、先手を打てなかったことでややショックを受けた。いずれにせよ、執筆の時間は今日と明日しかない。
どう考えてもルーチンワークの時間はない。それはほとんど諦めた。
夢中になって、1日の前半を執筆、後半を資料読みにあてた。
かなり深夜まで頑張ったので、ベッドにぶっ倒れるように潜り込んだ。
5月18日(日)「さあ執筆再開(2)・・・の風さん」
深夜まで読んでいた資料は、新しい章のためのものなので、ちゃんと整理する必要があった。つまりメモを作るのだ。
朝からこの作業に取り掛かった。歴史小説家の作業はとにかく手間がかかるのだ。
このメモがA4サイズで4枚の資料になった。かなりの量である。
ところで、この資料は、非常に古い蔵書である。奥書を見ると、昭和44年10月の出版である。高校のときに買った本に違いない。
それが40年ぶりに役に立つ。
メモを作った後、インターネットで検索すると、これほどのデータは見つからない。現在入手できる参考資料も簡単には見つからなかった。
貴重な資料だということが分かった。
夜、必死になって原稿を書き上げ(推敲はまたあとで)、深夜、出版社へメールした。2週間後に上京するので、打ち合わせも提案した。
5月19日(月)「やっかいな校正・・・の風さん」
退社前と変わらぬ睡眠不足の朝を迎えた。しかし、月曜になっても出社する必要がないのはありがたい。ついこの間までは、このまま出社を強行して忍耐の会社勤務をするか、あるいは突発有休の連絡をして休むかのどちらかだった。
いくらか達成感を味わいつつ、キャメロンで出かけた。
商工会議所で預けてある荷物を受け取り、JA(農協さん)で自動車税を納めた。できればJP(日本郵便)で振込みも数件したかったのだが、余裕がなくて見送った。自動車税に続いて、週末には12ヶ月点検がある。キャメロンを保有し続けるという目標は、執筆に力を注ぐモチベーションになっているが、本当に余裕がないのだ。
昨日まで読んでいた資料の残りを読破してから昼寝した。
その間にファックスが届いていたのだが、気付かなかった。ついでに紙切れで、全ページを受信できていなかった。来月出版される新鷹会アンソロジーの校正の件だった。2件中の1件は問題が分かったので、就寝前に調べ始めたのだが、かなり手ごわい内容だった。
専門書に書いてある内容だが、百科事典は違っているという。専門書の元ネタと思われる文献をチェックしたら、写本だった。つまり1次史料かと思われたものが写本Aなのである。百科事典の元ネタも別の写本Bだった。写本Aと写本Bの対決みたいな変な話で、本当の1次史料は発見できなかった。
問題は本のタイトルだった。本の内容から判断して、どちらのタイトルがふさわしいか、手持ちの辞書類を総動員して調べた。結局『新字源』の解説を参考にして写本Bを選択した。私の当初の原稿は修正されることになる。
5月20日(火)「シエスタも効果なく・・・の風さん」
4時間睡眠だったが、根性で起床。なーんか退社以前と変わらない。
ワイフが早々と出かけたので、わたしも追いかけるように準備し、スーツを着て出発。
初夏のような気候だ。
今日もキャメロンの窓を開けて疾走。
退社後の色々な手続きの一つだが、待っている間に、出版社へ電話して校正の相談をした。ファックスの紙切れを詫びたあと、未明の結論を告げた。未受信のもう1件はルビに関することで、すぐその場で決着した。
手続きは緊張したが無難に終了した。
来た道を逆にたどって帰宅した。
すぐに『工場長の教材』の何度目かの校正に取り掛かった。まさかここまで長引くとは思わなかったが、確かに、やればやるほど気になる部分は出てくる。他の執筆者の原稿もチェックして、わたしなりに達成感を味わった。
昼食後はシエスタ(スペイン語で昼寝)。体力不足の今はシエスタが欠かせない。
夕方から久しぶりにルーチンワークをこなした。
昨日の和算書のタイトルに関して、2人の専門家からメールでコメントが寄せられた。私の判断で正解だった。ホッとした。
その後、再び元気を喪失。早々と就寝。
5月21日(水)「2年ぶりのゴキが早くも出現・・・の風さん」
午前中に、明日の講義の準備を終えて、午後から、尻に火が付いた感じの、日本数学協会の会誌『数学文化』のための原稿に取り組んだ。
先ず、やりかけの全体構成の再構築をした。これをしっかりしなければ、論旨が不明確になる。今回は研究論文みたいな原稿はやめて、エッセイ風の、鳴海風らしい内容にすることにした。
きちんとした構成ができたので、資料を参照することなく、とにかく文章を書き込んでいった。データの充実は、あとでやればいいのだ。
しかし、晩御飯ごろまでにパワーダウンした。やはり体力不足である。何とか5月いっぱいで色々な仕事を軌道に乗せ、筋トレを再開しないと、いつまでも低能率の執筆が続く。
夕食後、ワイフが台所で片付けを始めたら、悲鳴が上がった。見ると、ゴキがシンクから這い出て、キッチンの扉を急降下していった。すかさずゴキジェットを取り出して、扉のスキマ周辺に浴びせかけた。
夫婦で「きっとこの扉の隙間から中へ逃げたんだよね。扉を開けるの怖いね」と囁き合っていたら、ペコとちび助も「なんだ、なんだ」といった感じで台所へやってきた。
ところが、二匹の猫は、キッチンの扉から2メートルも離れたあたりに注目していた。
すると、茶ゴキがのたうち回りながら出てきた。
私はとどめのゴキジェットを噴射した。
昨年は一度も台所で出なかったゴキが、今年は早くも5月に出現である。恐ろしい年になりそうだ。
5月22日(木)「ゴミ当番・・・の風さん」
団地内のゴミ集積場で資源ゴミを集めるとき、住民のサポートをする当番が年に2回ある。今日がその日で、自分自身が粗大ゴミにならないために、進んで(つまりワイフに任せず)奉仕しなければならない。
幸い快晴で、7時から出動した……ら、もうパートナーの方(2人体制なので)がすべて準備を終えていた。
パートナーはもちろんご近所だが、地域に根をおろしていない男同士はめったに交流がない。互いにここに20年以上も暮らしているのに、である。
そのパートナーは、私より6つ年上だった。お母さんの介護の関係もあって55歳定年前の51歳で退社したとのこと。ということは、俗にいう第二の人生としては15年先輩なのだ。作業中の1時間、ひたすら交流したが、とてもすべては分からない。そのうち私が余裕ができたら、お茶にでもお誘いしたいと思った。
午前中に『数学文化』の原稿執筆の続きをやって、午後、本山キャンパスへ向かった。
受講生の一人が今日も欠席で、何か事情があるらしいが、事務室でも把握できていなかった。心配である。
準備した分だけ講義をして、ドーナツをお土産に家路についた。
夜は、疲労のため、雑用に集中した。
5月23日(金)「今日は草取り・・・の風さん」
朝からJAへ行き、お金をおろして、修正納税した。打撃だが、前を向いて頑張るしかない。もう決めた。輝く五十代のあとは、稼ぐ六十代である。ただし、輝く五十代ではいくつか失敗もあったので、稼ぐ六十代では失敗をしないようにしよう。
総合病院へ診察を受けに行った。3ヶ月をこえると初診扱いになってしまうので、そうならないギリギリのタイミングである。
そもそも完治しないからいけないのだ。
毎回、何らかの指示があるが、今日はやっかいな処方を宣告された。実行したくない処方なので、もらっている薬だけで何とか完治させないと次回がやばい。
遅く着いた関係で、すべてが終了したのは午後1時をだいぶ過ぎていた。
久しぶりに病院のレストランでまともに昼食を摂った。
それから、カリチューへ回って、キャメロンの12ヶ月点検と改造2件を依頼した。
代車で夕方帰宅したわけだが、もうパワー切れだった。リビングのフローリングでぶっ倒れて1時間のシエスタ。
目覚めてからワイフと裏庭の草取りをした。これでまたパワーを失った。
遅い夕食後、最後の根性を出して、月末の生涯学習講座のためのレジュメを作成した。
5月24日(土)「レジュメと原稿に注力・・・の風さん」
今日は朝7時から団地内の530(ゴミゼロ)運動だったが、体力不足のため、ワイフに出てもらった。本当にうちの奥さんは底知れぬ体力があるなあ。
昨日に続いて、生涯学習講座のレジュメ作成に力を入れた。3回分を標準化して効率よく一気に作ってしまうので、少々大変な感じはするが、トータルで考えれば絶対に楽なはずだ。レジュメに盛り込む解説は、「プログレス」の原稿をベースにしている。これも効率を考えてのことだ。問題は挿入する図である。著作権を気にする必要のないものだけ選ぶのが最も大変だ。
今日はそれだけではない。日本数学協会の「数学文化」の原稿にも取り組んだ。これも効率を考えてやっているのだが、分量が多いので気力・体力を消耗する。挿入する図についても、著作権を気にする必要のないものを選ぶつもりだ。
空いた時間で読書もしているが、やはり読者は楽しい。身辺整理が終われば、もっと読書できるが、相当先になりそうだ。
5月25日(日)「改造したキャメロン・・・の風さん」
午前中に完成させたレジュメを生涯学習センターの担当者へメールで送って、とりあえずホッとした。
続けて、「数学文化」の原稿だが、何度も何度も手を入れながら完成度を高めていて、ようやくあとひと息のところまでやってきた。挿入する図もすべて選定が終わった。
夕方からカリチューへキャメロンを引き取りに行った。
ちょうど観光客の帰宅の時間帯なので道路が混雑しているかと思ったが、そんなことはなかった。
本来なら潮干狩りのシーズンなのだが、今年は超不漁である。自然現象の異常は、どこかで大漁が起きることもあれば、どこかで激しい不漁も起きる。残念ながら、当地の潮干狩りは近年まれにみる超不漁である。
12ヶ月点検に加えて施した改造は2件である。
元々装備してあるナビが10年経過し、地図が古くなったのと、タッチパネルがところどころ反応しなくなって、ナビとしての機能を失っていたので、さまざま検討した結果、新たに7インチのポータブルナビを追加した。元のナビはオーディオとして使うつもりで残した。
それから、ハロゲンヘッドランプをディスチャージランプに取り換えた。元も改造されていて、PHILIPS製だったので、今回もPHILIPS製にし、6000K(ケルビン)という仕様にした。
キャメロンを運転して帰宅しようとしたら、エンジンの調子がすこぶるいい。音と振動がナイスである(^_^)。
ヘッドランプの具合は、帰宅してから、夜9時過ぎに確認した。前より視界が広く明るくなったが、やや光軸のずれを感じた。再調整が必要だろう。
その後、「数学文化」の原稿の最後の仕上げをやって、画像データと一緒に送付した。
5月26日(月)「シエスタなしではもたない・・・の風さん」
昨日送付した作成資料に対して、先方から受領確認メールが届いたので、ホッとした。
今日は天候も不安定だし、仕事のキリもいいので、身辺整理の一環でたまっていた資料のpdf化をした。その都度やるよりもまとめてやる方が断然効率がいい。ついでに、元資料(新聞の切り抜き)をゴミ箱に入れた。
書斎の片付けも少し進展し、扇風機を持ち込んだ。設置24年目になるクーラーを大事に使うための処置でもあるが、実はこの扇風機、実家の遺品で、私が小学校のころから使っている骨董品である。つまり50年来の同志みたいなものだ。ちなみに骨董品と書いたが、それだけの価値はあると確信している。当時にすればグッドデザイン賞ものだろう。
午後には雨になり、夕方から気持ちも落ち込んできたので、英会話CDのMP3化に取り組んだ。microSDカードに入れたので、明日にでも新しいカーナビに装填してみるつもり。
夜になって次回の非常勤講義の準備を始めたが、既にエネルギー切れ。そうだ。今日はシエスタを飛ばしていた。
5月27日(火)「あれもこれも・・・の風さん」
朝食を摂っているときに、地元の大学の先生からお電話を頂戴した。メールでご相談した件に対する回答で、恐縮したが、しっかりお話することができてよかった。
書斎では、昨日途中までだった講義の準備の続きから始めた。来週の分まで形だけ整えた。レポートの採点もやった。
続けて、日曜日の講演のスライド作成。とりあえず再利用できそうなスライドを収集した。明日、全体のストーリーを考えて、先ず、構成を決める。講演時間が短いので、ポイントを絞ることになりそうだ。しかし、和算研究者の間にはさまって講演するので、私は私なりのオリジナリティを出さなければならない。
昼食後、昨日作ったmicroSDカードをナビに装填して、ちゃんと英会話の勉強ができることを確認した。
今日は、シエスタをちゃんととって、夕方から、生涯学習センターの講座用のスライドの構成を考えた。3ヶ月3回にわたっての講座だということと、全部を聴講しない方もおられることを想定して、標準化しておくことにした。
これだけやっても懸案事項は他にたくさんある。早くそれらに手をつけなければ、と思うが、なかなか大変だ。
5月28日(水)「講演スライドの作成に着手・・・の風さん」
二日間キャメロンで外出しなかったので、昼食前にJAまで行ってお金をおろしてきた。ついでに、ナビの役目を解いた元ナビのオーディオ機能を取説で確認した。こちらはMP3ファイルにした音楽CDを再生できることが分かった。現在、HDが一杯なので、ジャンルを固定して準備するといいかも。
シエスタ後、日曜日の講演スライドの作成に着手した。時間が短いので、枚数を減らして語りにウェイトを置くことと、「数学文化」に原稿が載るので、そちらとセットで楽しんでもらうことにする。
生涯学習講座のスライドの作成にも着手したが、少ししかできなかった。
書斎の窓を少し開けているためハエが入ってきてうっとうしかった。何せ網戸が破れている。これを修理することも懸案事項なのだが、まだ着手できる状況ではない。
5月29日(木)「久しぶりの電車・・・の風さん」
午前中、講義の準備をやったが、ギリギリ間に合わなかった。車中で読書したいことなどもあったので、本山へは電車で出かけた。
乗換駅でふとスマホを見ると旧職場からの着信履歴があった。そのときは折り返しの電話に応答はなかったが、本山駅で再びかかってきた。ところが、私へ電話した記憶はないという。久しぶりのスマホのミステリーである。
本山キャンパスのロケーションは絶妙で、今日は銀行と郵便局に寄った。
講義は無事に終わった。昨年に続いてエクセルにソルバーが入っていない(受講生のPCも私のも)というトラブルがあったが、すぐにアドインして対応できた。変に達成感を味わった(笑)。
名駅ではManacaとSuicaにチャージもし、上京の準備もできた。
車中では予定通り、居眠りでなく読書もできた。
今週もドーナツを買って帰宅したので、最寄りの駅までワイフが猛スピードで迎えに来てくれた。
5月30日(金)「通帳記載に不安・・・の風さん」
午前中に銀行に行ってきた。昨日、本山で通帳記入した時に、分からない引き落としがあって、ひと晩考えても思いつかなかったので、その確認が目的だった。気になることは早目に解決しておかなければならない。
窓口で事情を説明すると、すぐにその記載の詳細をPCで確認しつつ、窓口の女性が記述内容からヒントを言ってくれた。最初は「まさか」と思っていたが、じきに、それが一番確からしい気がしてきた。
帰宅して、すぐ確かめてみると「ビンゴ!」だった。今年の1月に自分で引き落としの手続きをしたものだった。定年退社にともなう処置の一環だった。金額もピッタリ一致していた。
それで安心して、昼食後にシエスタもとり、目覚めてから、明日の生涯学習講座のスライドの準備に取り掛かった。ほとんどできていたのだが、全体のバランスをとるとなると、まだまだ時間をかける必要があった。
夜、プリンターの調子が悪くなり、印刷ができなくなった。
解決しそうもなかったので、今年初めてだと思うが、缶ビールを飲んで寝た。
5月31日(土)「生涯学習講座の初回・・・の風さん」
生涯学習講座に出講のため、ワイフを乗せてキャメロンで出発した。
キャメロンで名古屋より遠いところへ行くのは初めてかもしれない。それでも、この1年間で14000kmも走ったらしいから驚く。
自宅を予定より10分遅れて出発したが、ケータイを忘れたことに気付いて「振り出しに戻る」。まるで双六だな(笑)。
新しいナビの性能を確認するのも今日の目的の一つだ。
電話番号検索でビンゴになった目的地に着いたが、そこに生涯学習センターはなかった。移転したらしい。早速ずっこける。
ぐるりと一周してみたら交差点に案内表示版があった。左右反対方向だった。すぐに着くかと思ったら、行けども行けども次の案内表示がない。また元に戻って最初の案内表示版をチェックすると、そこから0.1kmとある。すぐだったのだ。しかし、ショッピングモールの裏側にあって外からは分からない。
大きなロスタイムになったが、近くのレストランでパスタランチを食べることにした。事務局に電話したら、もうお義父さんが着いていて、控え室にいるという。
急いで食事を済ませることにしたが、やけにワイフの顔がこわばっている。聞くと「あなた、よく講演前だというのに食欲あるわね。私だったら喉を通らないわ」という返事。僕の分まで緊張してくれていたのだ。ありがたいことだ。
会社の友人も二人来てくれていて、楽しい講演になりそうだった。
予定の1時間半を5分オーバーして終了した。
今日の名古屋地区は日中の最高気温が33℃をこえていて、暑い1日だったが、私の講演もホットなものだった。
あと2回を2ヶ月でやる。この調子で。
帰りはスムーズに走れた。
新しいナビの性能に激しく感動することはなかった。残念ながら。
2014年6月はここ
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